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【音楽】サブスクは音楽文化を殺すのか?

少し前ですが、旧Twitter、現Xのポストで「無限に近い音源を聴けるようになった現世代がこれからどんな音楽が生み出すのかとても楽しみにしている」と言った投稿があり、うむ確かにそれはそうだな。と思い、それはとても期待感があることなのですが、一方で「本当にそう言えるだろうか?」という懐疑的な部分もあり、それはどうしてだろうか、音源が無限に近く聴けるのならそれに越したことはないのではないのか、それはまあ間違いのないことではあるのですが、いろいろそれについて思うことがあるので、それについて考察というほどでもないですが、ちょっと書いてみます。

まずぼくはサブスクについてあまり好意的に思っていないということがあります。もちろん便利ではありますし、リスナーにとってこんな環境があっていいのだろうか? とは思っているのですが、ぼくにとって音楽というものは何よりも自由である行為であるものなので月額幾ら払って好きなだけ音楽が聴けますよ! とういうのは、言い方は悪いのですが税金を払って公共サービスを受けているような気分を受け、アーティストとリスナーの関係というものはそういうものではないのではないかという思いがあるのです。

なにしろ無限に近い音楽を一曲の単価にすればほぼタダで聴けるわけですが、それはつまりアーティストにとってもリスナーにとっても一曲の価値を言うものはほぼ無限に薄まっていくわけであるわけでもあるわけです。

ぼくもファンであるところの某女性SSWがサブスクのことをかなり辛辣に批判していたこともありましたけども本人にとってすればそれは確かににそうだろうなあと思います。

リスナーにとってしてもタダに近く音楽が聴けるということはあまりいいことではないような気がします。価値というものはあくまでも対価を支払って得るものだと思っていますし、これはほぼタダというものを聴くということはリスナーの音楽体験にとってもあまりいい影響はもたらさないのではないかと思うのです。

といってもこれはぼくのような一般リスナーの話しで、ぼくにとってはサブスクはあくまで試聴のようなことであるわけですが、本当に才能のある方やプロの方にとってはこれ以上ないようなサービスであることは確かなので、サブスクが本当に良いサービスかどうかというのは是々非々で判断されるべきなんだろうなと思います。

ラジオであるアーティストの方がおっしゃっていたと思うのですが、サブスクでは本当に修行のように音楽を聴いていると。何か新しい音楽体験がないか、新しいもの、刺激をくれるものはないかと、そういうことですよね、ぼくは素人ですが、そういう感じはわかると思います。

しかしてプロの方は置いておいても、そういうものが自然な音楽の体験になるかと言われると微妙な感じがしますし、サブスクで無限の音楽を聴いているというのと、自分のお金で買ったレコードなりCDなりを数十枚、数百枚擦り切れるほど聴いているのと、どっちが体験として豊かかと言われてもそれはどっちがいいとかの問題ではないなと思うのです。ぼくとしては、それは別物ではないかという感じがするのですが。

いずれにせよ今は過渡期なんだろうなと思います。これからどうなるのかと言われるとそれはサブスクのほうに行きフィジカルな音楽体験というものは下火になっていくのでしょうが、それが本当に音楽文化を豊かにするのかなあと思いつつ、今日もぼくはレコード屋に通うのでした。